LIVE LOVERS

ヨースケ@HOMEを偲ぶ『ツイットーライヴ』、初の有観客開催レポート到着

2023.08.08

ヨースケ@HOME ツイットーライヴ vol.3 〜3年越しの出会いはパノラマ編〜 2023.6.20 Billboard LIVE 横浜

2019年6月、急性心不全のため37歳の若さで永眠したシンガーソングライター、ヨースケ@HOME。彼と彼の音楽がどれほど人に愛され、どれほど人と人を繋いできたのか。彼がいなくなったあとに思い知らされている仲間たちがいる。

2020年はコロナ禍により開催を断念したが、2021年、『絶対に泣いてはいけない! ヨースケ@HOME ツイットーライヴ vol.1』がついに配信された。ヨースケが心から敬愛していたKAN、キヨサク、PES(3人合わせて弔辞トリオ、そのいきさつは後述)、菅原龍平を中心に、根本 要(スターダスト☆レビュー)、ジョンB(ウルフルズ)、秦 基博ら、ヨースケのミュージシャン仲間が集結して、音楽のみならずヨースケにまつわるクイズコーナー「クイズ!ヨスーケ伝説」(※筆者注:“ヨスーケ”はタイプミスではありません)なども盛り込まれたバラエティ豊かな内容となった。2022年の「vol.2」には、弔辞トリオ、菅原龍平に加え、トータス松本(ウルフルズ)、林 幸治(TRICERATOPS)、ヨースケの幼なじみでもあるJiLL-Decoy associationが参加。クイズあり罰ゲームありの、またしても笑いの溢れるライヴが配信された。

2023年6月、「vol.3」は「3年越しの出会いはパノラマ編」と副題を付けて、ヨースケの地元でもある横浜の、Billboard LIVE YOKOHAMAにて、3年越しに観客を迎え入れて開催された。出演者&スタッフの念願叶っての観客とともに作りあげるツイットーライヴではあるのだが、今回はKANが療養中のため欠席となった。その大きな穴を埋めようと、出演者たちは入念に準備を重ねてきたに違いない。さて、そろそろ開演の時間だ。

会場に流れるヨースケの「空をみてた」をバックに出演者がステージに登場。ヨースケと一緒に撮ったそれぞれのスナップ写真が、今日への思いを繋いでいく。

「『ツイットーライヴ Vol.3』でございます! ありがとうございます〜!」というPESの声と同時に、1曲目「並木道」がスタート。この日のために組まれた、吉田佳史(Dr)、山川浩正(Ba)、縄田寿志(Key)、菅原龍平(Gt)からなるバンドが早速いい音を鳴らしている。ボーカルはキヨサク、PES、菅原がつとめる。ジャンルもタイプもまったく違う彼らが、ヨースケが大きく広げた両手の中でこれからショーを始める、そんな光景が目の前に訪れた。

寂しい気持ちはもちろん、この会場にいる誰もが抱えているだろうけれど、音楽はしばしそれらをやわらかく温かく癒してくれるだろう。キヨサクが歌う「想うた」は制作時からヨースケがアレンジなどで参加していたと聞く。CMで流れていた時期もあり耳馴染みがあるが、ここでの「想うた」は、さらに深い想いを宿した歌になっていた。

PESのMC。
「2019年にヨースケ@HOMEというミュージシャンが亡くなりまして、そのあとに、今日はちょっとお休みなんですけど、KANさんに声をかけてもらって、みんなで集まってヨースケの曲を年に一回でいいからやろうじゃないかということになって。でもコロナになっちゃって(1・2回目は)配信ライヴという形になりましたけど、今回はみなさんの前でやらせていただけるということで」(会場から拍手)

来場者に配られた『ヨースケ新聞』には、これまでの経緯や、配信ライヴのもようなどが掲載されている。こういう手作り感もこのイベントの持ち味、いいところ。KAN命名の「弔辞トリオ」への言及も。ヨースケの告別式で弔辞を読んだKAN、PES、キヨサクの3人に対し、そのネーミングはコンプライアンス的にいかがなものか、不謹慎ではないのか、と、満面の笑顔で語るPESとキヨサクから、KANの不在を心から残念っている様子が伝わってくる。

「みなさん、それぞれ楽しんでください。ヨースケが紡いだ音楽がこうやってずっと歌い継がれてる。ありがとうございます」と、キヨサク。メンバー紹介(と、長めの前置き)を経て、和やかでフレンドリーな雰囲気の中、ゲストのGAKU MCを呼び込む。ラッパーとしてのヨースケがもっとも影響を受けたミュージシャンである。

「(これまでの)配信を見ていて、いいな、この輪に入りたいなと思っていまして、念願叶って、今日はこの舞台に立ってます。今日は、ヨースケと一緒に作っていた曲がありまして、デュエットも予定していたんですけど、その制作中に(ヨースケは)僕らを置いて旅立ってしまったんですね。完成に至りませんでした。で、ヨースケが尊敬するキヨサクさんにお願いしたら、ヨースケのパートを歌ってくださって」

ほのぼのとかわいくてほがらかな「ニコ」を初披露。ニコニコと微笑ましい時間が流れる。それでもやはり寂しいものは寂しい。いや、それだから余計に寂しいとも言える。

GAKUは訥々と、亡き父のお墓の近くにヨースケのお墓があること、今ごろ二人で将棋でもさしているんじゃないか、いつの日か自分もそっちに行ってまたセッションしたい、と語り、「敢えて、自分の父がいなくなったときに書いた曲をヨースケに向かって歌おうかなと思っています」と続け、たいせつな人や物事を忘れないためにと、「ナクスコトデシカ」を。生々しく真摯なメッセージを届けた。

ステージに一人残ったのは、ヨースケの親友でシンガーソングライターの、菅原龍平。
「今年久しぶりにアルバム(『雨の中の涙のように』)を出したんですけど、いちばん聴かせたかったヨースケくんがもういないことがすごく残念です」
2010年に父を亡くし、2011年に東日本大震災があり、小学校の6年間を過ごした仙台の街を憂い、そのころを思い出しながら作ったという大事な曲「タンデム」を披露。真摯な歌声が懐かしい海へ、きっと誰もが抱いている心の拠り所へと誘ってくれているようだった。

続いて、PESと菅原で、ポエトリーリーディングのようなラップと歌で構成された「それでもボクは生きてゆく」。こんな曲を作っておきながら当の本人はもう生きていないのだけれど。それでも(ここにいる)ボクらは生きていく、ヨースケはいなくてもこの曲を歌い継いでいく、と、このイベントの大きな意義を感じる場面でもあった。

秦 基博は、ヨースケの地元の中学の先輩。
「僕が中3のときの中1がヨースケで。正直言ってあんまり交流はないんですよね。中学時代のヨースケで知ってることは、緑ジャージを着てたことぐらい」と、秦。
実はほとんど覚えていなかったようで、菅原の証言によると、KANのライヴの打ち上げで中学卒業以来の再会に歓喜したヨースケが秦に挨拶に行ったものの、すぐに菅原の元に戻り、「覚えてくれてなかった……」と意気消沈していたそう。
「僕からしたら、知らないやつが元気にやって来て、知らないやつがトボトボ帰って行ったっていう状態だったんですけど(笑)」(秦)
のちに、そんな二人のためにKANが開いた食事会で、懲りないヨースケから「秦先輩! 僕(一緒に)バスケしたんすよっ!」と言われ、「バスケ部じゃないよね? 何部?」「水泳部!」という謎の会話を交わしてからは、正式な先輩後輩としての関係性がスタートしたようだ。

静かに弾き語る「ひまわりの約束」は、あの誰もが心打たれただろう温かいせつなさとはまた別の、果てのない寂しさを湛えた表情を見せていた。

キヨサクが再び登場。
「俺と秦くんを繋いでくれたのも、ヨースケ@HOMEであります」
キヨサクと秦は同い年だそうで(会場から思わず「えっ!?」という声があがった)、活動の場も決して近くはないが、ヨースケという共通点ですっかり打ち解けているもよう。キヨサクにとっては制作もライヴもヨースケとともに過ごした時間が長い分、このイベントに対する思いも深く、今回初めてお客さんを前にライヴができることへの感謝を告げていた。

「ヨースケと一緒に歌っていた、名曲です」と紹介して、秦とともに「涙そうそう」を。
「絶対に泣いてはいけない」と謳ったライヴで、涙を誘ってくる。ヨースケが歌う「涙そうそう」を想像して、じんわり胸が痛む。

そして、ステージにはフルメンバーが揃い、改めてヨースケとのエピソードに花が咲く。山梨にある山川の実家になぜかヨースケが(ライヴが終わったあとに)やって来て、酔っ払って応接室のじゅうたんにワインをぶちまけた話や、新幹線のホームでヨースケと話し込んでしまったばかりに乗り遅れたGAKUの話など、追悼ならぬ“被害者の会”が発足してしまう事態に。これもまた、どんなことをやらかしても愛され続けるヨースケの語り尽くせない魅力ではあるのだった。曲は「そういうLife」。PES、DJ NON、ヨースケが組んだユニット“Bravo!”のハッピーな楽曲をバンドが巧妙に彩り、ヨースケのラップパートはGAKUが担当した。

ライヴも終盤、PESが口火を切る。
「(ヨースケは)とても明るくて、いろんな人を巻き込んで転がるように生きていった人間なので、1年に1回でもこうやってみなさんに思い出していただけるように、我々もこれから引き続き(このイベントを)やっていきたいと思いますんで、引き続きよろしくお願いします。ありがとうございます」

そのあと全員が一人ずつ挨拶し、最後は、ヨースケのメジャーデビューシングル「パノラマ」を。歌詞の<友達の友達は友達で/端から端まで繋がっていく感覚>そのままの光景が広がる。ヨースケお得意のハモニカパートを吹く菅原は、中盤に出てくる歌詞<僕にないもん君が持ってんの/君にずっと会いたかったよ>を体現する人物。ヨースケは生前、このフレーズが、この歌が作られた少しあとに出会った菅原のことのようだ、まるで予言だ、と語っていたのだから。

出会いはパノラマ、僕らこのまま歌い続けてくなら、IT’S GONNA BE ALRIGHT! ……♪

予言者の歌が会場を包み込む。”ヨースケ”という(もはや太陽や虹やひまわりなどに近いような)概念が、みんなを見守っている。

さて、終わりと見せかけて。
「今日はボスであるKANさんが体調が悪いんだか機嫌が悪いんだかわからないんですけど(笑)」とPESが仕掛けるのは、本当のラストナンバー「愛は勝つ」。
のちにこのライヴ映像を観るであろうKANに向けて、観客とともに盛大に歌い、「信じることさ、最後にKANは勝つ〜」と大合唱、そして鳴り止まない拍手をメンバー全員が全身で受け止めながらステージを去り、ツイットーライヴは幕を閉じた。

会場に流れる、ヨースケの「おかえりバトン」に合わせて、手拍子が巻き起こる。まるでそこのステージに一人残されたヨースケが歌っているかのようだ。手拍子に応えて、メンバーが再登場。もう一度お別れの挨拶をして、来年また会おうと約束して、名残を惜しむだけ惜しんで、彼らはそれぞれの場所に戻っていった。

ステージに残された、この日の演奏で使われた多くの楽器の中には、ヨースケのギターやウクレレ、名前のわからない叩くやつ(by PES)があった。ヨースケとの旅はこれからも続いていく。肩を組んで。絶対の笑顔で。

文=森田恭子 撮影=SARU(SARUYA AYUMI)
















PAGETOP