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西寺郷太×土岐麻子 対談 vol.1 アルバム『Twilight』誕生ヒストリーに迫る

2021.12.10

■スタートから終わりまでのストーリー、「A面感」と「B面感」

西寺郷太:11月24日にリリースされた『Twilight』、最高傑作じゃないですか?

土岐麻子:ありがとうございます。

西寺:これまでも素晴らしいアルバム、曲も沢山あったし、本当にすごいなと思って見てましたけど、アルバムとしての1枚の完成度が高いなぁ、と。スタートから終わりまでのストーリーと言いますか、作品として。

土岐:あ、うれしい。

西寺:A面が今の土岐さんっていう感じで、現状の世の中の、むしろ日本よりも海外で流行っているような音楽スタイルというか。2021年現在の、一番正直な土岐さんっていうテイストの楽曲が続きながら、いわゆるレコードでいうB面1曲目?に相当する6曲目の「Mirrors」あたりから、2000年代の半ばから10年ほど追いかけてきたいわゆる「シティポップ」感と言いますか、今までの土岐さんの良さ、ほんの少しメロウでファンキーな「懐かしさ」があるのが後半で。そっちはファンやリスペクトする新世代へのサービス精神もあって楽しくて。

土岐:ありがとうございます。本当に、郷太さんが今A面/B面って言ってくださったんですけど、わたしもそういうつもりでこの曲順を考えていて。やっぱり、10曲あるうちの6曲目はB面の1曲目という感じです。『Twilight』っていうテーマで作っていたので、日暮れとか朝焼けとかっていう時間帯の、色でいうと中間色みたいなものを作ろうって、それぞれの作家さんと話してきたので、結構日暮れていく感じのサウンドだったり、メロウなメロディだったりが多くなっていたんですけど。特に「Mirrors」っていう楽曲は、一からではなくてストックの中からもらった曲で「こういうの土岐さんに似合いそう」って言ってくれたので。

西寺:サウンドは今ですけど、ちょっと僕やNONA REEVESが昔からやっていたようなフレンドリーな曲だから、急に来てちょっと嬉しいよね。A面の、リズムは刻んでるんだけど音数が入ってない感じ、ドラムが無い瞬間が多いムードも素敵なので、どっちも良いんだけど。9曲目の「Apple pie in the sky」はTLCの「Waterfalls」を思わせるようなリズムで90’sな感じもあって。

土岐:そうなんですよね。結構後半にいくにつれて明るい曲というか、A面が夕暮れだったらB面は朝焼けみたいだなっていう感じで。同じトワイライト・タイムでも、明けていってワクワクするような。「Mirrors」っていうのはすごく良い出会いだった曲で、テーマで縛って作っていたらきっと出てこなかったようなポップな楽曲なので良かったな、と。こういうパーカッシヴな感じで歌うのはすごく久々でしたね。

■LambC(レムシ)へのオファー

西寺:「Mirrors」を提供したのは韓国のアーティストなんですか?

土岐:そうなんですよ。LambCっていうサウンドプロデューサーであり、エンジニアリングも勉強してたっていう人で。全部自分で作っちゃう人だと思うんですけど、一人ユニットなのかな?

西寺:じゃあもう会わずに、メールして?

土岐:そうなんですよ。DMから始まって(笑)。

西寺:土岐さんがしたの? スタッフとかじゃなく。「わたし、好きなんです」って?

土岐:そうなんですよ(笑)。一番最初に知ったのはストリーミングだったんですけど、すごく好きなミニアルバムをずっと聴いていて。でも、検索してもあんまり出てこないんですよ。韓国語のページしか出てこなくて、でもずっと去年も韓国語を勉強していたので。

西寺:そうだよね、してたしてた。だんだんわかるようになってきた?

土岐:わかるようになってきて。

西寺:真面目だからね、根が勉強家だから。

土岐:そう(笑)、すごい集中して頑張って。最初にLambCさんを知ったときは全然韓国語のページも読めなかったし、なんだかわからなかったんですけど、それから1年くらい経って見てみたら、「あれ、読める読める!」

西寺:ははは! すごいやん! そこには何て書いてあったの、韓国語で。

土岐:なんかね、Wikipediaみたいなのがあって、バークリーを卒業して作曲とエンジニアリングを勉強し、R&Bをベースにした云々みたいな。それで韓国語でDMを、「土岐麻子と申します、日本で活動しています」――

西寺:「日本のシティポップ・ルネッサンスの第一人者として活躍し続けた私が」――

土岐:はははは!

西寺:とは書かずに?(笑)

土岐:書かずに(笑)。すごいシンプルに「いつも聴いてます」みたいに書いて、機会があれば一緒に音楽を作れたらいいなと思うんですけど、窓口はここで良いですか?っていうメールを出したら、結構遅れて数か月後くらいに……。

西寺:数か月後!?(笑)

土岐:多分、本人が管理してなかったぽくて。マネージャーさんから連絡が来て、メールアドレスが書いてあったのかな。じゃあここからはスタッフでやりとりした方がいいかなと思って、エイベックスの韓国語ができるスタッフの人にお願いしてやりとりしてもらって。今回のアルバムで一緒に作りたいって言ったら、「ストックの中に土岐さんに似合いそうな曲があるから、まずそれを聴いてもらって、違うかなと思ったら一から作りましょう」みたいな丁寧な返事が来て。

西寺:めっちゃ良い曲じゃないですか、これ。他の曲と狙いが違うから目立つのもあるのかな。

土岐:元々こういう曲が好きだったし、ソロ活動の初期に郷太さんに書いてもらった「Hoo-Oon」とかもそうですけど、ダンスミュージックでちょっと歌が弾けるような感じの、歌でリズムを取っていくようなものが好きだったので、久々にこういう曲を歌いたいなと思って。だからね、この曲を歌うときに「マイケルだったらこの曲をどうやって歌うかな?」ってすごい考えて。でもLambCさんが元々当ててた仮歌が英語だったから、これを日本語にするときにすごく難しいなと思いつつ、楽しかったですけどね。

西寺:得意じゃないですか、今となっては。土岐さんもリズミカルな、ダンスミュージックの作詞をたくさん最近されてますから。V6の曲とかね。

土岐:そうですねえ。

西寺:10曲目の「眠れぬ羊 (with TENDRE)」もすごく良い曲で、これで終わるのが素敵だと思いますけど、やっぱり前半の「ザ・今」みたいな曲も、僕はすごく素敵だと思いました。染み込んでいく、ブルージーな気持ちになるというか。疲れてたり悲しかったりすることを、無理に元気に持っていかない心地よさみたいな。<アスファルトの熱 夜が来ても僕を焦がすよ>っていう「ソルレム」の歌詞があったでしょ? そういう言葉の一個一個の響きが、今までも素晴らしかったですけど、今まで以上に。この2年はコロナで、その前のアルバムの『PASSION BLUE』は2019年の秋ですから――

土岐:まだコロナを知らなかった頃ですね。やっぱりこのコロナ禍でステイホームっていう、家にいる時間が去年は特に長かったので、いつもとモードは変わりましたね。いつもは街のことを歌ってきたけれども、街に出なかったからどうしても内省的な気持ちにもなったし、そういった音楽を聴きたくなるというか。

■コラボレーションによる化学反応

西寺:今回の『Twilight』は自分より若い世代と絡むことが多かったですか?

土岐:今回はそうですね。スタッフからの提案もあったりして、これまでトオミ(ヨウ)さんと2人でがっちり三部作を作ったところから、ちょっと新しい人選というか、広げてみるのはどうか?っていうアイディアもあって。で、前回のカバーアルバムでShin Sakiuraさんとか関口シンゴさんと一緒にやってたんですよ。それで、もっと一緒にオリジナル曲とか作ったらどうなるのかな?と思っていたところだったので、一緒にやったらどうなるかが想像し尽くせない人とやりたいなっていう。トオミさんとも今回もこれまで2人でやってこなかったような、たとえば「ドア」っていう曲とかはすごく感情的な曲というか。切なくて胸が締め付けられるような曲を書いてくれたり、新しい球をいつも投げてきてくれる人で。

西寺:「ドア」の歌詞もね、ちょっと昔の昭和の歌謡曲みたいな感情が乗った歌詞で。

土岐:そうなんですよ。歌詞から書いたら絶対出てこないようなものになったりするので。曲先で言葉を乗せるのって本当に面白いですね。

西寺:歌詞から書いた曲も今回あるんですか。

土岐:今回はないんですよ。前作とか、トオミさんと一緒にやるときは言葉からも結構あるんですけど。郷太さんはいつもどっちからやるんですか?

西寺:もう9割9分、曲ですけど……歌詞から書いた曲ってあるかなぁ。タイトルから思いつくことは多々ありますけどね。

土岐:キーワードみたいに?

西寺:でも歌詞だけを書く仕事というか、うちの奥田(健介)が書いた曲に歌詞を書いたり、最近だと土岐さんの代表曲のひとつ「How Beautiful」作曲者でもあるさかいゆうくんが書いた曲に歌詞を書いた和田アキ子さんの「黄昏にアンコール」があったり。やっぱり素晴らしいメロディがも作詞家として携わるのは、それはそれで楽しいですね。よりチャレンジや冒険ができたりするから。……「NEON FISH」は土岐さんの名前が作曲に入ってますけど。

土岐:そうなんですよ。すごい久々に作曲を……というかまだ3曲目くらいで、過去2曲くらいしかないんですけど。

西寺:え、そうだっけ?

土岐:本当に自分の作る曲っていうのが全然気に入らないんですよ。

西寺:Cymbals時代から?(笑)

土岐:Cymbals時代に一曲、ソロになって一曲っていう感じです。

西寺:もうちょっとあるのかと思ってた。OKラインが高いんじゃない?

土岐:んー、なんかしっくりこないんですよね(笑)。自分で作ることの必然性がちょっとわかんないというか。

西寺:でも逆の人もいるじゃないですか。矢沢永吉さんとかって、曲は自分で書くけど歌詞は人に任せる。

土岐:あ、そうなんですか?

西寺:そうそう。ご自分でたまーに歌詞書くんだけど、多分土岐さんと真逆のバランス。だからキャロルのときはジョニー大倉さんが歌詞書いてたし、今は加藤ひさしさんとかいろんな人が、「矢沢さんはこうあってほしい」みたいな歌詞を書くから、それで演じるみたいな。

土岐:たしかに、矢沢さんは「イコール俺」じゃないですもんね。YAZAWAっていう人と別人格っていうか。永積(崇)さんも曲は自分で作りたいけど、歌詞はいろんな人に書いてもらいたいんだよねってラジオで言ってました。

西寺:そうなんだ。でもねえ、贅沢なことだなと思う、俺も。今になって作詞・作曲・歌、自分ってダサいなって思う時がある……(笑)。

土岐:そんなことないですよ!(笑) 、いっぱいいるから(笑)。

西寺:いるけど(笑)、自己主張そこまでいらんやろと(笑)。協力してくれる仲間いないんか、そんなにお前を出したいんか?っていう。……洋服とかと一緒じゃないかと。全身自分でデザインして、縫った服着てる奴みたいな。意外性って自分を広げてくれるじゃないですか。「これがいいよ」って言われて、着てみたら良かったみたいな。自分の後ろ姿って見えないから。

土岐:たしかに。

西寺:髪の毛とかも、真後ろが見えないから切れない。だからバンドのメンバーにせよ、誰か「ここあなたのいいところですよ」って言ってくれる人がいるって、良い気はするけどね。だから共作も大好き、俺は。特に若い視点はね。

土岐:曲から書いてもらうときってわりとそういうことだから。ただこれまでいつも着てたような服を「あなたのスタイルはこういう感じですよね?」って持ってきてもらっちゃうと、なんかちょっと違うというか。

西寺:だからこの「Mirrors」は良かったわけでしょ。

土岐:そうそうそう。今回は他にも若い方と一緒にやっていたりするんですけど……私と郷太さんは昔、早稲田の隣同士のサークルだったんですけど、他に「ナレオ」っていう凄腕のサークルがあって。今回、「travellers」っていう曲の作曲をしてくれたエドガー・サリヴァンのボーカルの佐々木萌さん、べースを弾いてくれた高木祥太さんもナレオらしくて。

西寺:彼らはみんな20代?

土岐:20代なんですよ。だからナレオ時代にわたしのアルバムとかを聴いていて、「いつか土岐麻子に曲とか書けたら面白いよね」って言ってたという話をしてくれて。いわゆる書き下ろしで、わたしをイメージして書いてくれてるんですけど、わたしにとっては新鮮な変拍子の曲だったりとか。だから新しい自分の側面を感じられる作業でした。

■2021年の夏の出来事

西寺:今年の夏にはオリンピックもありましたけど、ずっと集中して制作を? LINEとかはしてましたけど、プライベートも激動でしたもんね。

土岐:夏は……その前に父が亡くなったりして、果たして自分はものを作る気持ちになるんだろうか?っていう。途中までは作ってたんですけど、歌詞とか書けるのかなぁ?って、7月の頭くらいに葬儀が終わって、全く想像がつかなかったんですよ、制作してる自分が。7月の下旬にツアーが予定されていたので、それはやるでしょっていうことでツアーに行って、なんかね、久々にツアーのリハで歌ったら、すごく歌えたんですよ。

西寺:ほう。

土岐:歌の気持ちがすごく甦ってきていて。もしかしたらその前より戻ってきたというか、プリミティヴな、原点回帰みたいな気持ちで、肩の力を本当に抜いた状態でスッと歌が出てくるみたいな感じ。不思議だなぁ、なんでだろう?と思って、それは本当になんでだか分からないんですけど。

西寺:まあ、お父さんもミュージシャンですからね。パワーというか。

土岐:霊的な?(笑) スピリチュアルなこともあるのかなぁ。父ともこれまで一緒にステージに立ったこともあったので、そのときの感覚みたいなものも自分で思い出したりもして、ツアーの間、歌うことに対してすごく誠実に向かい合う気持ちでいられたんですよ。それで何箇所かまわっているうちに、完全にクリエイティヴな気持ちも戻ってきて、8月の終わりくらいから急に「やんなきゃ!」と(笑)。制作やんないともうヤバイと思って。

西寺:集中して。

土岐:うん。一週間で5~6曲分歌詞書いたとか、そんな感じだったんですよね(笑)。

西寺:じゃあもう秋に歌ったんだ、9月くらいに。

土岐:だから夏は、ひたすら法事と、供養とツアー、供養とツアー。お坊さんに会ってはツアーに出て(笑)。……話逸れちゃいますけど、郷太さんってお坊さんの――。

西寺:父親の実家が寺で、土岐さんもよく知ってる弟が継ぐね。

土岐:あの、お経って、父の葬儀とかで見てたんですけど、スタイルが全然違うじゃないですか、人によって。

西寺:そうですねえ。僕もそんなに詳しくないですけど、お年寄りの偉い人とかだと、もうボブ・ディランですよね。

土岐:どういうことですか(笑)。

西寺:音程もないし、枯れてて。変にハイトーンで伸びがあるより、歳とって声が出なくなってからぐらいの方が、有難いんじゃないかな。偏見だけど(笑)。

土岐:面白すぎる(笑)。

西寺:でも俺はふざけてるというか、いい加減なもんだよ。長男だったんで子供の頃から親父と……祖父も生きてたんで祖父が住職で、親父は学校の先生をしながら手伝ってる形だったんですよ。お盆とかお正月に俺もついていかされて、やっぱり小さい子が来ると歓迎してもらえたり、1000円くれたりとかするので(笑)。それで小学生の頃からレコードいっぱい買えて、ミュージシャンになれたね。煩悩の塊。リズムマシン買えるやんとか(笑)。

土岐:はっはっは!

西寺:お経を読むっていうのが俺の中ではバイト。小さい頃から暗記させられてたから、自然に詠めちゃうんですよ。本当の意味はわかってないけどね。最後はいつかな?割と大学生くらいでも夏と冬は手伝ってたんだけど。親父と一緒にお経詠んでてどっちかがちょっと笑っちゃったんですよ。

土岐:いや~、怖い(笑)。

西寺:正式なお葬式じゃないですよ? 僕が詠めるのなんて。お盆の、とりあえず形上毎年来てます、みたいなノリのとこで。そのときにウチは浄土真宗なんだけど「正信偈(しょうしんげ)」っていう定番の絶対皆詠みますみたいなお経のフレーズで「光沢(こーたくー)かむらぬーものぞなし」って部分があって。その「こーたくー」が「ゴータくーん」って聞こえるって小学生に上がる前の頃からよく俺が言っていて、家族で一緒に嬉しくなって笑ってた記憶がふと二人の頭によぎって。ユニゾン状態で「こーたくー!」って響かせた瞬間に親父も俺もちょっと笑っちゃって(笑)。我慢しないといけないから、ものすごく苦しみながら最後まで詠んだのは面白かったですけどね。引き返せないじゃないですか(笑)。それで俺にはもう無理だと(笑)。

土岐:最高ですね(笑)。本当に歌うようにお経を読む人もいるし、父の葬儀の日に来てくれたお坊さんが、たまたまなんですけど竹内まりやさんのファンで、コンサートで父のことを観たことがあるっていう人だったんですよ。だからびっくりして。ご縁がありますねって。

西寺:うわぁ。

土岐:最後にまたご挨拶したときに、「今日はミュージシャンのお父様に背中を押されるような気持ちで良いお経が唱えられた」というようなことを、おっしゃってて。なんか嬉しいなぁっていう。

■土岐英史さんのアイデアと、これからの活動

西寺:それも縁だよね。僕も長い間、土岐英史さんには優しくしてもらってたから悲しかったです。いつもニコッとしてね。

土岐:伝えましたけど、父が郷太さんに「自分の本を書いてもらいたい」って言ってて。インタビューしてもらいたいって。本当に亡くなる2ヶ月くらい前かな、言ってたんですよ。

西寺:そこで名前が出てきたっていうのを聞いて、びっくりしましたよ。すごい重大な役割じゃないですか。そんな自分のヒストリー本を「西寺郷太」にって。僕は当時のジャズシーンとか全然詳しいわけじゃないですけど、今思えばそんな風に思っていただけていたなら、お会いしてお話を聞かせてもらいたかったです。でも名前を覚えてもらって、あいつに話したいって思ってもらえていただけでも光栄ですよ。

土岐:その話を父から聞いた時は、しばらくして元気になって、その後、郷太さんに会ってもらってって。思っていたんですけどね。

西寺:お父さんからしたら自慢の娘だったと思いますよ。一緒に共演や制作もして……。あとは単純に、たまに話しますけど、あの激動の時代にミュージシャンをしながら子供を大学に行かせて卒業させるだけですごいと思いますよ(笑)。

土岐:(笑)

西寺:本当に破天荒なミュージシャンも多かった時代に。

土岐:この間ふと考えて、わたし今45ですから、うちの両親が45のときにわたしはいくつだったんだろうと思ったら、大学生だったんですよね。え、わたし今大学生の子供が家にいるとか想像できないんですけど(笑)。お金たくさんかかるしねぇ。

西寺:バレエもやらせてねぇ。

土岐:そうそう。

西寺:すかんち好きでねぇ。

土岐:そうそう(笑)。

西寺:まあ、そういう意味でも土岐さんとはなかなか長い関わりをもたせてもらってますけど。ライブもあるということで、これビックリしましたよ。(堀込)泰行くんとやるんですね。

土岐:そう、今年の年末ですね。12月11日にツーマン。

西寺:恵比寿ガーデンホールで。いいですね。

土岐:泰行くんとツーマンっていうのは初めてなので、ありそうでなかったっていう。毎年年末に恵比寿のガーデンホールでイベントがあって。その企画でブッキングしてもらったんですよね。

西寺:そしてアルバム『Twilight』を携え、2022年。ワンマンライブツアー『TOKI ASAKO LIVE 2022 “Morning Twilight”』を開催と。来年はじゃあ、このツアーをスタートして、新たな土岐麻子、やる気満々だと。

土岐:やる気満々です。

西寺:今日は直接久々に会えて話せて楽しかったです。土岐麻子さん、ありがとうございました!

テキスト構成=風間大洋

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